心と身体は整ってきている、なのに何か満たされない
ここ数日、何かが少しだけ満たされません。
心も身体も以前より安定し、食も整い、睡眠もとれている。感情に振り回されることも減ってきた。
それなのに、どこか小さな空白を感じているのです。
今月頭は仕事が忙しく、ずっと集中していました。
それが落ち着くと、スマホを開いてLINEやSNSを見てしまう時間が増えました。
「誰かから連絡、来ていないかな?」
ここ最近の私は、誰かとの「つながり」を求めているみたいです。
この満たされなさは以前の不調とは違う。
どうも「つながり」が関係している。
もう少し深く追ってみることにしました。
「つながり」が減ったときに起きていたこと
いつも一緒に走っていたラン仲間が故障しました。
私はトレイルランニングを趣味にしていて、ウルトラディスタンスに挑戦するため、月に300kmほど走っています。
その仲間は、ラングループのムードメーカーであり、計画を立てる存在でもありました。走力も近く、よく一緒にトレーニングをしていました。
故障をきっかけに、グループ内の連絡は減りました。
気づけば、LINEの通知がほとんど来なくなっていました。
特に夜、静かな時間になると、その変化が強調されました。
「誰からも連絡が来ない」
その事実が、「つながりがない」という感覚に変換されていました。
誰とも接続していないような感覚。
ただ時間が過ぎていく感じ。
わずかな不安。
これまでもそんな静かな夜はあったはずです。
でも、そこに意識が向くことはあまりありませんでした。
振り返ると、私は長い間、自分の心身を整えることに精一杯で、多くの時間と意識を使ってきました。
食事、睡眠、運動、心の安定。
そこに集中していたため、「つながり」に意識が向く余白が少なかったのかもしれません。
いま、心と身体の土台が整ってきたことで、そこに使う認知資源が少し減ってきています。
その空いた余白に、「つながり」というテーマが浮上してきた。
満たされていないことに気づき、不安が出ていた。
私はそう整理しました。
ランコミュニティだけではありません。
仕事の面でも、どこかに属し、誰かと循環する感覚を求めている自分に気づきました。
マズローの欲求5段階説で考える「欲求の前景化」
アメリカの心理学者アブラハム・マズローは、人間の欲求を五つの段階で整理しています(1943年)。
生理的欲求
生命維持に関わる根源的な欲求(食事・睡眠など)。
安全欲求
身体的・経済的な安定や、安心できる環境を求める欲求。
所属と愛の欲求
他者との関係性や、集団への帰属を求める欲求。
承認欲求
他者からの評価、そして自己評価を高めたいという欲求。
自己実現欲求
自分の能力や可能性を発揮し、自己の可能性を実現したいという欲求。
マズローは、下位の欲求がある程度満たされると、次の欲求が前景化すると述べました。
ただし、それは「完全に満たされてから次へ進む」という意味ではなく、「相対的に安定すると次が動機づけの中心になる」という考え方です。
また、この階層は厳密で固定的なものではありません。
後年の整理や研究レビューでは、欲求は個人差や状況によって揺らぎ、必ずしも教科書通りの順番で現れるわけではないことも指摘されています。
この視点で、自分の現在地を確認してみました。
まず、「生理的欲求」と「安全欲求」。
心身の健康と生活の安定は、以前より整ってきています。
「承認欲求」についても、自分で自分を整え続けてきた経験が、静かな自己評価につながっているように感じています。
一方で、強く浮かび上がってきたのが「所属と愛の欲求」でした。
趣味の世界では、仲間がいます。
レースやボランティアという接点があり、共同体の一員としての感覚がある。
しかし、仕事の面では、新しいかたちで動き始めたばかりで、まだ接続は弱い。
さらに、今回ラン仲間が故障したことで、趣味の側でも一時的に接点が減りました。
そのとき、「つながりたい」という欲求が強く意識に上がってきた。
満たされなさは、何かが崩れた結果ではなく、
欲求の焦点が次の段階へ移動した現象と捉えることもできる。
そう整理すると、違和感の質が少し変わりました。
「3つの幸福」から見る、満たされなさの正体
樺沢紫苑氏は、幸福を三つの脳内物質に対応させて整理しています¹。
セロトニン的幸福
心と身体の健康。
「体調がいい」「気分がいい」「気持ちがいい」「清々しい」「爽やか」といった「気分」「感情」「体感」。
オキシトシン的幸福
「つながり」の幸福。
他者との交流や関係によって生まれる幸福。
ドーパミン的幸福
何かを「得る」「達成する」ことによって得られる幸福感。成功、やる気、学習、承認、快楽物質。
「もっともっと」の物質。ドーパミンの暴走で依存症になる、「逓減する幸せ」。
そして、3つの幸福には達成すべき優先順位があり、その優先順位を間違えると、幸せになれないと筆者は述べています。
その順番とは、「セロトニン的幸福 → オキシトシン的幸福 → ドーパミン的幸福」。
自分に当てはめてみると、
セロトニン的幸福、つまり心身の健康は整ってきています。
そして、ここ最近の空白の正体は、オキシトシン的幸福――つながりによる安心感――にあったように思えました。
第一段階が安定し、第二段階が前に出てきた。
そう見ると、「満たされない」という感覚は、欠落ではなく移行のサインのようにも見えてきます。
もし今、理由のわからない満たされなさを感じているなら、
それは何かが欠けているのではなく、
どの欲求が前に出てきているのかを確認するタイミングなのかもしれません。
つながりを増やすより、今ある関係を育てる
つながりを求めていると気づいたとき、
何か大きな変化を起こさなければいけないような焦りが出ました。
新しいコミュニティに入る、イベントに参加する、積極的に人に会う。
そんな選択肢が頭に浮かびました。
けれどまずは、いまある関係に感謝し、育てることから始めることにしました。
・自分から連絡をしてみる
・予定をひとつ提案してみる
・感謝を言葉にして伝える
・文章を書き、外に出してみる
新しいコミュニティを無理に増やすより、
いまあるものを丁寧に扱う。
足りないものを追う前に、
すでにある関係を育てる。
「自分には何ができるのだろう。」
私生活でも仕事でも、その問いを自分に向けながら、
小さな行動を重ねていく。
そして、つながりの輪を広げるために、アウトプットを始めることを選びました。
「孤独=欠けている」という思い込みに気づく
「誰かから連絡がこないかな」「私にはつながりがないのかもしれない」「私ってつまらない人間なのではないか…」
そんな思考が浮かんでいた日々は、どこか毎日が空虚に感じられ、目の前のことに集中しきれていなかったように思います。
振り返ってみると、私は「一人でいること」をどこかで悪いものとして扱っていました。
一人でいることは、
つまらないこと。
寂しいこと。
何かが足りない状態。
そんな前提が、自分の中にあったようです。
そんなとき、偶然開いたVoicyで、「一人時間を楽しむ」というテーマの話を耳にしました。
はっとしました。
もともと私は、一人の時間が好きだったはずです。
喫茶店で静かに過ごす時間。
本を読む時間。
自分の思考に潜る時間。
それらは不足ではなく、自分で選んできた時間でした。
いつの間にか、「一人=孤独=欠けている」という図式にすり替わっていたのかもしれません。
さらに振り返ると、ここ最近は週末に外へ出て活発に活動する時間が続いていました。
その流れが止まった途端、空白が強調された。
刺激が減ったことで、「物足りなさ」が浮かび上がった。
もっと刺激を、もっと動きを。
そんな方向に少し傾いていた可能性もあります。
樺沢紫苑氏の「三つの幸福」の視点に照らすと¹、私は無意識にドーパミン的幸福――刺激による高揚感――を求めていたのかもしれません。
一方で、セロトニン的幸福(健康)やオキシトシン的幸福(つながり)は、幸せの基礎(土台)とされています¹。
いま訪れている静かな時間は、その土台を整える時間と見ることもできる。
そう捉え直したとき、「一人の時間」は不足ではなく、必要な時間に変わりました。
今朝も自然に目が覚め、やりたいことがある。
朝の時間を使ってこの記事を書いています。
健康でいられることに感謝しながら、静かに一日を始めています。
今のあなたは、どの欲求が前に出ていますか?
なんとなく感じる揺らぎや違和感は、崩れではないのかもしれません。
それは、次の段階への移行の合図という見方もできる、とも言えそうです。
私にとっては、「マズローの欲求5段階説」や「三つの幸福」という考え方が、いまの立ち位置を確かめるための地図になりました。
どの欲求が満ちていて、
どの欲求が静かに浮かび上がってきているのか。
そう整理してみると、「満たされない」という曖昧な不安は、
「私はつながりを築こうとしている」という方向へと変わりました。
もし今、理由のわからない満たされなさを感じているとしたら、
それは何かが欠けているからではなく、
次の欲求が前に出てきているサインかもしれません。
いまのあなたは、どの段階に立っているでしょうか。
どの欲求が、静かに存在を主張しているでしょうか。
自分の欲求を一段ずつ確かめてみる。
そんな視点も、人生のヒントへのひとつの手がかかりになるかもしれません。
■ 参考文献
1.樺沢紫苑(2021)『精神科医が見つけた 3つの幸福』飛鳥新社。


